第1回京都クラシック映画祭
元・立誠小学校で開かれた第1回京都クラシック映画祭の最終日を見ました。最近の映画館はどこもフカフカの椅子になりましたが、パイプ椅子で1日映画を見続けるのは、なかなか腰が痛かったです。
最初は、チャップリンの初期作から多忙な一日、チャップリンの画工、チャップリンの衝突、夫婦交換騒動、メイベルの結婚生活の5本(邦題は映画祭パンフレットによる)と、邦画で牛原虚彦監督の「感激時代」が上映された。チャップリンの映画はいずれも1914年に封切られた作品で、それぞれ味があるものの、続けて見ると、いずれもチャップリンが殴り合いをしたり、すっころんだりしているばかりで、もう一つ面白みがでない。やはり後の長編とは大きな違いが見られる。
午後の最初は、「独裁者」が上映された。チャップリンがヒトラーを模した独裁者に扮して、地球儀を回したりする、説明の用がないほど有名な映画だ。チャップリンは、初期の映画では、なぐったり、蹴ったり、レンガを投げあったりしているが、いずれも一方的な展開になることはなく、殴った者が次には殴り返されている。それに対し、権力者や強者が一方的に行う暴力(その最たるものが戦争であろう。)については、徹底的に嫌っていることが分かる。
一方、ユダヤ人を迫害していたナチスに対抗するアメリカの映画製作者の思惑も強く感じられる。我々、日本人は芸とか遊びというものは政治や外交などとは離れたものだと考えがちであるが、欧米では常に芸術と政治は隣り合わせの位置にあることが実感できる。最後に、独裁者と間違われた床屋が民主主義を訴える演説を行う。独裁者の愚かさを糾弾するかのようで、独裁者と床屋を同じチャップリンが演じ、そして、民主主義を兵士に訴える演説が次第に熱を帯びてくるのを聞いていると、民主主義という思想の下に戦争を行うことも、独裁者と変わらない危険を抱えていることが伝わってくる。公開当初に大衆からそれほど支持を受けなかったというのもなんとなくうなずけるものがある。
最後の映画は、「担え銃」。1918年封切りの無声映画であるが、第二次大戦後の再公開時にチャップリンがつけた音楽を、京都市交響楽団メンバーの生演奏付きで上演された。この無声映画とオーケストラの生演奏の組み合わせというのは初めて体験したが、なかなか素晴らしい。昔の映画というと映像もさることながら、音声によっても古さが実感されるものだが、生演奏が付くことにより、私の感覚としては、1940年に撮られた「独裁者」よりも生々しく感じた。それとともに、映画では珍しくライブ感覚が味わえたのも良かった。音楽やダンスやお芝居のような生の肉体が目の前にあるものに比べて、映画というのはどこか別の世界でできあがった完成品を見ている感じがするが、今日に限っては、まさにこの場で作品が生まれてくるという、コンサートなどに近いものを感じた。
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