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2007年12月31日 (月)

大フィル第九+2008公演

 今年最後のコンサートは、大植指揮の大阪フィルの第九演奏会となった(30日)。その本題の前に、会場で2008~2009の定期演奏会のスケジュールをもらってびっくりしたが、かなり大植色を出してきた感がある。年10公演のうち、大植さんが4公演のほかは、すべて外国人。それも、日本でよく見かける名前ではなく、知る人ぞ知るか、もしくは日本では無名と言ってよい指揮者ばかりである(少なくとも私が実演で聴いたことがある人はいない。)。

 これはある意味、冒険といってよいプログラミングだと思う。これまでで言えば、若杉、外山、秋山、尾高といった重鎮や、下野さんのような若手まで常連というべき指揮者がいたが、それらの人をはずしてどのような音楽が作り上げられるのか興味がつきない。ある意味で、これまでの伝統を一度白紙に戻して、大植色に染め上げるために必要な作業なのかもしれない。

 さて、今回の第九であるが、目を惹くのが4人の独奏者をすべてドイツで活躍する外国人を連れてきたことである。日本全国で数え切れないほどの第九が演奏されていることから、第九を歌えるプロの声楽家は日本人でもごまんといる中、あえてわざわざ外国人で固めたところに大植さんの並々ならぬ決意が読み取れる。

 実際、公演に接してみると、この効果は歴然と感じられる。なんといってもドイツ語にニュアンスが日本人が歌うのとまったく違うことに驚かされる。それは4人そろったときに強く感じさせられるところである。冒頭のバリトン(クリストフ・シュテフィンガー)から歌うというよりも台詞をしゃべるようでいて、それがそのまま歌になっている感じである。

 これは、合唱と比べると明らかである。合唱自体、パワーやそろい具合など関西で聴ける第九としては最上のレベルの演奏をしたと思うが、それでも4人の独唱者と比べると、いかにもカタカナで歌っている感じがする。これぞ日本人の第九といった感じが強い。

 また、オーケストラも先日京都で聴いたときにも感じたが、これも大植さんの手足になりきっていないもどかしさがある。新生大フィルへの脱皮中といった感じだろうか。その蠢きがこの第九の曲想とあっていたため、前回の7番よりは違和感を抱くことなく聴きとおせたのがよかった。

 いずれにしても、これだけ聴きなれた第九を再度、新鮮な気持ちで聴かせてくれた4人の独唱者とそれを起用した大フィルに大きな拍手を贈りたい。そして、多様な指揮者の元、大フィルがどう成長するかを見守っていきたいところである。

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2007年12月22日 (土)

シルヴィ・ギエム

シルヴィ・ギエムがゲスト出演する東京バレエ団の公演を見に行く(於:びわ湖ホール)。

過去に封印した「白鳥の湖」をギエムが踊るというのがひとつのウリだが、第2幕からわずか15分だけという、ほんのちょっとだけの公演である。まさにこれを期待していたら詐欺のような公演である。とはいえ、15分でもギエムの白鳥はすごい。優美さとかはかなさといった他の白鳥で見られるようなイメージはまったくない。決然としていて、他の白鳥よりも一回りも二回りも大きく見える。キング・オブ・白鳥である。ギエムでしか出せない迫力であるが、ある意味、この人ほど白鳥が似合わない人もないのかもしれない。そういう意味では、封印したのが正解か。

第1部よりも長い休憩の後の第2部はバランシンの「テーマとヴァリエーション」。主役は吉岡美佳と高岸直樹。チャイコフスキーの組曲第3番にのって、まさにヴァリエーション(変奏曲)のように踊りが繰り広げられるのは、さすがにバランシンとうならされる作品である。しかしながら、主演の高岸さんが今ひとつ。ギエムの力強さと比較すると、安定感で大きく水をあけられた感じである。全体的には群舞がすごい。先ほどの白鳥もそうだが、東京バレエ団のコールドはなかなか感動的なものがある。

再び長い休憩の後、第3部は「Push」。ギエムとラッセル・マリファントの2人で踊るデュエットである。最初は、男性が女性を肩にかつぎあげ、女性を床に下ろしたかと思うと、暗転し、また、男性が女性をかついでいる。というのを何度か繰り返した後、2人の絶妙のコンタクトが繰り広げられる。特に筋立てがあるわけではないが、これもギエムらしさがよく出た作品である。最初、男性にかつがれ、いろいろなポーズをとらされるギエムは、まるで死体のように力が抜けていながら、マネキンのように「ぴっ」としたポーズを決める。柔軟さと強靭さを見事に兼ね備えている。男性とのコンタクトでも、モデルのように美しく、一流のアスリートのように無駄がない。ほれぼれとするのだが、実にスポーツ的である。伝統的なバレエとは美的感覚が少し逸脱している。バレエはスポーツじゃなくて芸術なんだ、と言ってしまうのは頭が固いだろうか。

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2007年12月16日 (日)

踊りに行くぜin栗東

コンテンポラリーダンスの全国巡回プロジェクトの踊りに行くぜを見に、栗東のさきらに行く。ホール前は、ろうそくが並べられていたり、中ではフラメンコの公演をやっていたりと、いろいろとにぎやかであった。さきらと言えば、指定管理制度でJR西日本系の会社が落札して物議をかもしたりもしたが、情報誌を発行したり、なかなか民間活力のいい面が出ているようである。京都コンサートホールもとっとと民間に委託しちまえ!

さて、今日は5組の公演を見た。最初は、山田知美さん。以前に大阪でも見て、印象に残っている人である。タイトルの「駄駄」のとおり、ダダをこねているかのように身体を大きくゆすったりするパフォーマンスである。単純ながら、真っ暗な中で首を左右に振り、その残像が残るシーンや、髪の毛を大きく振り回す歌舞伎の連獅子のような振りなど、印象的な場面が多い。ソロで動きも少ない中で単純になりがちであるが、もっともエネルギーを感じさせる公演だった。

次は、女性3人組みのco.co.yo。3人が音楽に合わせさまざまな動きをするが、ばらばらなようで、影響されあっていて、連動しているようで、ずれているという見ていて飽きさせないパフォーマンス。同じ女性3人組みでも、後に述べるワークショップ参加者の場合は、重なったり、繰り返されたりと単調さが出てくるが、このco.co.yoの3人は、だれを見ていいか迷うくらいに展開で多様でスピーディーである。

前半最後は、遠田誠とJOUのユニット。遠田さんは、まことクラブの部長で、この夏のびわ湖ホールで見たばかり。今日は、また違った面白さがあった。全体は、大きく3部構成。最初は、2人のデュエットであるが、2人の動きがばらばらながら、絶妙の距離感でからみあう。仲のよい夫婦のようでもある。中盤に遠田がジャケットを脱ぎ、客席に放り投げた後、探し回るパフォーマンスも遠田さんのとぼけた味わいが笑いを起こしていた。最後は、ワイングラスをそれぞれ手にしてのデュエット。これも絶妙の感覚で、ワイングラスを受け渡ししていたかと思うと、こぼしてみたり、なかなかの芸達者である。

後半は、フィンランドのエーヴァ・ムイルさん。外国の女性らしいパフォーマンスというと嫌らしいが、表情とか身体の切れ、リズム感、感情の出し方などがいかにも「欧米」らしい。フットボールの試合に出てくるチアガールみたいというと何だが、日本人では出せない感覚である。こうした違った要素を盛り込むことで、逆に日本人の踊り手の特徴、得手・不得手が見えてくるという効果がある。エーヴァさんがフィンランドでどの程度の踊り手の方かは知らないが、日本人の方が、気というか、舞台から発するオーラのようなものでは勝っていたように思える。

最後は、公募で集まった女性3人がワークショップで作り上げた作品。いずれも何らかのダンス経験はある方のようであるが、やはりパフォーマンスとしての独自性や完成度は、これまでのプロの方とは開きがある。だが、素人が舞台で客席に身体をさらすことについての決意が、若干の痛々しさと大いなる勇気をもって語りかけてくるのは、初心者の強みか。

終演後には、参加者がそろってのアフタートークが行われた。身体で語るダンサーの話が上手くないのはまあ許すとしても、こうしたダンスのアフタートークの司会がいつも、グダグダなのはなぜだろう。質問している客席の方がしっかりしていた。それにしても、山田さんに「あれだけ頭を振っても障害は出ませんか」と行っていた客席の方には笑わせていただいた。

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2007年12月11日 (火)

大フィル京都演奏会

大フィルは,実に味ないオーケストラになってしまったのだろうか。

今日は、毎年恒例の大フィルの京都公演を聴いた。思えば大フィルが初めて京都コンサートホールで演奏した曲目は、今日の1曲目と同じ、ベートーヴェンの序曲レオノーレ第3番であった。そのときも、パリ管やN響などと比べても必ずしも上手いオケだとは思わなかったが、なんともいえない重厚さを感じたことを思い出す。ああ、これが朝比奈サウンドかと納得したものである。

一方、今日の演奏だが、いつも聴く京響と比べても上手くないのは、まあアウエーだから仕方ないとしても、大フィルらしいサウンドが聴こえなかったのは残念の一言である。

それは突き詰めると音が軽いのである。これは、指揮者の大植さんが目指している音なのかもしれない。現に今日もヴァイオリンを左右に配置する対抗配置であったが、古楽系の団体で見られるとおり、あまり重厚な音を好む指揮者がとらない配置である。これが、大フィルのベートーヴェンというイメージを完全に裏切ってくれたのである。

これは、メインのベートーヴェン・交響曲第7番でも同じである。さらに言うならば、ノリが悪い。大植さんが身体いっぱいを使って躍動感あふれる指揮をしているが、それがまったく音に反映されないのはどうしたことだろう。客演ではなく、常任というのにこんな反応でよいのかと思ってしまった。

2曲の間には、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番が演奏された。独奏はルノー・カプソン。しっかりとした音で、安定感のある演奏。大家の趣すら感じられる堂々とした弾きっぷりであった。対するオーケストラが、この曲に必要な伸びやかさを感じさせてくれないので、全体にはこじんまりした感じに終わったのは、ソリストが素晴らしかっただけにもったいなかった。

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