大フィル第九+2008公演
今年最後のコンサートは、大植指揮の大阪フィルの第九演奏会となった(30日)。その本題の前に、会場で2008~2009の定期演奏会のスケジュールをもらってびっくりしたが、かなり大植色を出してきた感がある。年10公演のうち、大植さんが4公演のほかは、すべて外国人。それも、日本でよく見かける名前ではなく、知る人ぞ知るか、もしくは日本では無名と言ってよい指揮者ばかりである(少なくとも私が実演で聴いたことがある人はいない。)。
これはある意味、冒険といってよいプログラミングだと思う。これまでで言えば、若杉、外山、秋山、尾高といった重鎮や、下野さんのような若手まで常連というべき指揮者がいたが、それらの人をはずしてどのような音楽が作り上げられるのか興味がつきない。ある意味で、これまでの伝統を一度白紙に戻して、大植色に染め上げるために必要な作業なのかもしれない。
さて、今回の第九であるが、目を惹くのが4人の独奏者をすべてドイツで活躍する外国人を連れてきたことである。日本全国で数え切れないほどの第九が演奏されていることから、第九を歌えるプロの声楽家は日本人でもごまんといる中、あえてわざわざ外国人で固めたところに大植さんの並々ならぬ決意が読み取れる。
実際、公演に接してみると、この効果は歴然と感じられる。なんといってもドイツ語にニュアンスが日本人が歌うのとまったく違うことに驚かされる。それは4人そろったときに強く感じさせられるところである。冒頭のバリトン(クリストフ・シュテフィンガー)から歌うというよりも台詞をしゃべるようでいて、それがそのまま歌になっている感じである。
これは、合唱と比べると明らかである。合唱自体、パワーやそろい具合など関西で聴ける第九としては最上のレベルの演奏をしたと思うが、それでも4人の独唱者と比べると、いかにもカタカナで歌っている感じがする。これぞ日本人の第九といった感じが強い。
また、オーケストラも先日京都で聴いたときにも感じたが、これも大植さんの手足になりきっていないもどかしさがある。新生大フィルへの脱皮中といった感じだろうか。その蠢きがこの第九の曲想とあっていたため、前回の7番よりは違和感を抱くことなく聴きとおせたのがよかった。
いずれにしても、これだけ聴きなれた第九を再度、新鮮な気持ちで聴かせてくれた4人の独唱者とそれを起用した大フィルに大きな拍手を贈りたい。そして、多様な指揮者の元、大フィルがどう成長するかを見守っていきたいところである。
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