« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月27日 (日)

オペ管「リゴレット」(演奏会形式)

 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の第41回定期演奏会として、ヴェルディの「リゴレット」が演奏会形式で取り上げられた。指揮は、今年度から山下一史の後を次いで首席に就任した韓国人のチャン・ユンスン。

 オーケストラの定期演奏会なので、まずは管弦楽から。ヴェルディの作品は、びわ湖ホールが積極的に取り上げてきたので比較的たくさんの作品に接しているが、今日はとてもオーケストラが軽やかだった。これは、編成やホール、作品などにもよるが、ヴェルディというイメージよりもロッシーニと言ってもよい雰囲気を持っている。それは決してマイナスではなく、この陰惨なドラマを浮き浮きとした明るさでもって進めたし、歌を引き立たせる役割を果たした。この指揮者はなかなか注目してもよい人かもしれない。

 歌では、題名役の田中勉さんが抜きん出て素晴らしい。声量はもちろん、感情表現なども含めてベテランの存在感を示した。

 ジルダの松下美奈子さんも若いが素晴らしいソプラノである。清潔感のある歌い方と、オーケストラに負けない張りのある声の持ち主である。コロラトゥーラなど正確に歌おうとするためか固い感じがするが、舞台経験を重ねられればきっとよい歌手になられると思う。

 公爵の小餅谷さんはやや不調か。といってもベストの状態は存じ上げないのだが。この歌の一番の聴かせどころである女心の歌(風の中の羽のように~)を歌っても、まったく拍手すらおきないのは、かわいそうですらあるが、完全に前の2人に食われた感じである。ただ、この曲がずばっと決まらないと、何か損をしたような気になるのも確かである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月20日 (日)

京フィル「現代音楽の楽しみ」

 京都フィルハーモニー室内合奏団の第158回定期公演は、「現代音楽の楽しみ」と銘打った、現代音楽づくしのチャレンジングなプログラミングである。

 こうしたプログラムの例にもれず、いつもの定期公演よりも客席に空席が目立ったが、楽団と聴衆の双方が育つこのような演奏会は、大事である。

 1曲目は、ジュリアン・ユーのPhilopentatoniaは、五音音階を基本にした作品。とはいっても、現代音楽的色彩が強いので、五音音階とか、中国風というのはそれほど意識せずに聴いた。冒頭の自然の中に吹き渡る風が起こす音のような部分から、音楽が次第に増殖していく様など、なかなか面白い。

 2曲目は、松村禎三のアプラスの庭は、フルート、ヴァイオリン、ピアノによるトリオの作品。フルートの竹林さんのフルートが魅力的。

 3曲目は、バッハの「フーガの技法」を今日の指揮者の野平一郎さんが編曲した作品から3曲が抜粋して演奏された。バッハは、もちろんずっと過去の作曲家であるが、東京では、バッハと現代作品を並べて演奏するシリーズがあるように現代曲との相性がよいようだ。それは、バッハの機能的なところが、現代作品に通じるからかもしれない。今日の場合は、現代作品の中に置かれた一服の清涼剤か。2曲目の「オクターブのカノン」のマリンバ、ハープ、チェレスタの出す幻想的な響きは格別

 後半の4曲目は、武満徹の「ア・ウェイ・アローン」。オーケストラの定期演奏会になぜか弦楽四重奏?という感じだが、今日のプログラミングの中ではしっくりとくる。武満さんの響きとかしか言いようのない音楽にうっとりとさせられる作品

 そして最後が、指揮の野平さんの作品「ドゥーブル」。これが結局、一番難解だった。他の作品は、それぞれ野平さんによるていねいな解説があったが、この曲の解説が分かりにくかったからかもしれない。やはり自分の作品を語るというのは、気恥ずかしさがでるのだろうか。それとも他人の作品だからこそ、客観的な視点で、的確なコメントができるものなのか。

 いずれにせよ、それぞれ編成も違えば、音楽の雰囲気も違うという演奏する側にとってはたいへんそうだが、聴いている方は楽しいプログラミングだった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年4月19日 (土)

京響の新しい時代へ

 京都市交響楽団の新しい常任指揮者 広上淳一さんを迎えての初めての定期演奏会が開かれた(18日。京都コンサートホール)。

 常任指揮者が変わったといって即座にオーケストラが変わるものではないだろう。しかし、今日の演奏は、いつもの大友さんの演奏とは明らかに違う音楽を奏でていた。それは、広上さんと楽員との新しい音楽を作ろうという意気込みの現われだろうか。

 確かに、音がそろっているかといった点だけでいえば、大友さんが振ったときの方がバランスが整えられ、聴きやすい音になっているのは確かである。そうした点から見れば、今日の演奏は、キズの多い演奏ということになるだろう。

 しかし、大友さんが常に端正な演奏を崩さなかったのに対し、広上さんの棒の下に繰り出される音楽は、表情が豊かで、魅力的である。

 前半のハイドンのロンドン交響曲は、1月に井上道義さんの指揮で演奏された前期の交響曲と違い、最後期の作品らしく、華麗で明るい演奏に仕上がっていた。最近のサクサクっとした軽いハイドンとは違い、時代考証よりも音楽の楽しさを優先させたような演奏である。

 後半のシェエラザードも、京響のレヴェルの高さを活かした選曲である。広上さんの指揮にまだなじまないのか、精度は今ひとつであるが、これまでの京響から聴かれなかった、積極的で力強い演奏が聴かれた。

 これまで、京響は、上手いが、おとなしいオーケストラと言われてきたが、これを機に、上手くて、かつ、熱く燃える演奏を期待したい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年4月 6日 (日)

梯剛之「ベートーヴェン3大ソナタ」

梯剛之さんのピアノ・リサイタルを聴いた(5日・京都コンサートホール)。基本的に、ピアノのソロリサイタルというのは、ほとんど聴かないが、以前梯さんの弾いたモーツァルトを実演で聴いて、その透明感あふれる演奏に惹かれたので、出かけてみた。

今回は、オール・ベートーヴェンである。月光、テンペスト、熱情という有名曲揃いである。印象としては、以前のモーツァルトとはかなり異なる。一言でいうと、かなりアバウトな感じのする演奏である。

最初の月光から、かなり揺らいだ演奏である。これが梯さんの呼吸なのだろうが、素人が弾いていたら不安定な演奏と言われかねない。では、演奏としてダメかというと、まったくそんなことはない。むしろ、きちっと弾かれる方が退屈である。梯さんという人間が見える演奏で、たいへん興味深かった。

テンペストや熱情では、かなり激しい表現が見られた。これは以前のモーツァルトでは見られなかったタッチである。梯さんは、目が見えないために、音には厳しく、決して汚い音は出さない人かと思ったが、これらの演奏ではむしろ汚いといってよいほど激しい演奏が見られた。これも、微妙なところではあるが、ベートーヴェンが乗り移ったかのような気迫で演奏されると、強い説得力を持つ。きっと、ベートーヴェンも、当時の人がおどろくような荒々しい演奏をしたのだろうと、想像させられる演奏である。

そんな中、一番感動したのは、熱情の第2楽章である。ここでの変奏曲は、まさにモーツァルトばりの美しさ。変奏曲の名人ベートーヴェンの得意技が、モーツァルトによって再現されているかのような、新鮮な表現であった。やはり、梯さんにはモーツァルトがふさわしいのではないか。そう思わせる演奏であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »