NHKのトップランナーに出演するなど注目のダンサー「服部有吉」と指揮者・金聖響、ジャズピアニスト・松永貴志のコラボレーションという話題性あふれる公演だが、空席も見られた。しかしながら、公演自体はたいへん素晴らしいものであった。私が最近観たものの中では断トツに面白い。終演後もお客さんの拍手が鳴り止まないことから、満足された方も多かったのだと思う。
公演は、バレエダンサーやコンテンポラリー、あるいはストリート系のダンスなど異なるジャンルの男性ダンサー12名で踊られる。明確な筋はないと思うが、一つの流れは感じられる。人によって受け止め方は違うのだろうが、私の感想は次のようなもの。
最初は、ドビュッシーの月の光によるプロローグ。ここでは特にストーリーはない。
続く、メンデルスゾーンの「イタリア」交響曲は、楽章ごとにテーマが変わる。
第1楽章は、衣装と役割の結びつきが面白い。ぎこちない動きの下着姿のダンサーが服を着せられることによりダンサーの動きになったり、色鮮やかなタキシードのバレエダンサーがバレエのジャンプを決めていたのが、上着を脱がされることにより、コンテンポラリーダンサーと同じ動きをしたりする。この人はバレエのダンサー、この人はコンテンポラリーのと決め付けてしまいがちな観客の思いを利用するとともに、本当にそのようなジャンル分けが必要なのかどうかを突きつけられているようである。
第2楽章は、オーケストラのみでダンサーは登場しない。
第3楽章は、白い服装のバレエ・コンテンポラリー系のダンサーと、黒い服装のストリート系ダンサーが入り乱れる。白いダンサー同士が出会うと握手をし、デュエットに入るが、白と黒が出会っても無視したり、対立したりする。ついつい、同じ仕事や収入程度の人とは親しくなるが、異なる世界の人は無視したり、反発したりしがちなものである。世界的にみても、国籍や人種や宗教の違いによる溝がある。そういった問題を思わせる。
第4楽章は、2組のグループがあり、それぞれに指導者ができる。指導者は、黒い上着を着せられることで表される。指導者は、周りをまとめ、他のメンバーは指導者と同じ動きをする。しだいに、指導者同士が対立したり、指導者を裏で操るものができたり、指導者が放棄して別のものに代わったり、代わった指導者が皆の信頼を得られず追放されたりする。そして、混乱のうちに終わる。これは、まさしく20世紀の各国の政治において繰り返されてきたことである。ここまで来ると、なぜ曲が、「ドイツ」の作曲家メンデルスゾーンの「イタリア」交響曲かということも意味があるように思える。
続いて、バーバー作曲のアダージョ。この曲は葬送の音楽として使われることで有名である。ここでは、2人の指導者を葬っているようである。2人は、上着を頭からかぶせられ、静かに床に座らされる。独裁者による20世紀のいまわしい過去を葬り去るかのように。
休憩後は、シェーンベルクの浄夜。しばらくは、ダンサーは前半の最後の座り込んだ姿勢のままじっと時を過ごす。シェーンベルクの退屈な音楽と動きのない展開だが、逆にときの経過というものを感じさせる。次第に、固まっていたダンサーの動きがほどけてくる。葬られたダンサーは、上着を脱がされ、他のダンサーの助けによって動きを取り戻してくる。動きを取り戻したダンサーは他のダンサーの動きを伝え、それは白いダンサーから黒いダンサーへも伝わっていく。ここでは、前半のような指導者もなく、黒と白の対立もない。音楽と共に感動的なクライマックスである。
以上のように、人と人との関係性というものを強く感じさせる作品である。日本人の作品としては、自分という個性を出すものや、集団の動きを追求するものはあるが、このような個人と個人、個人対集団を強く意識させる作品は珍しい。きわめてヨーロッパ的な感性ではないだろうか。この点において、演出家・振付家としての服部有吉はとても興味深い。
続いて、公演タイトルにもなっている「ラプソディ・イン・ブルー」。ここでは、これまでと完全に流れは断絶している。6人の主要ダンサーがそれぞれの持ち味を生かして踊る、ガラ公演のようなものである。服部の200度開脚をはじめ、超絶技巧の数々にはため息がでる。バレエもコンテンポラリーも、パントマイムもすべてがそれぞれ素晴らしいと実感する。そういう意味では、前半を受けた、個性をそれぞれ認め合った理想の状態が、この「ラプソディ~」なのかもしれない。
ダンサーとしては、辻本知彦が圧倒的に素晴らしい。コンテンポラリーダンサーだが、動きの安定感と切れは抜群である。動きが美しく、動き出しから静止まですべてに注意が行き届いている。もう一人の主役のラスタ・トーマスよりも良かった。名前を覚えておきたいダンサーである。
さて、本公演は、バレエと音楽の融合であるが、それについては今ひとつであろうか。オーケストラを舞台に上げ、ダンスと共に主役に位置付けているが、ダンサーの前ではどうしても伴奏に成り下がってしまう。PA(音響装置)も万全とはいえず、下手のオーボエが上手から聴こえるなど違和感があった。そういう点では、ダンスとオーケストラの相乗効果という当初の目論見の点では必ずしも成功しなかったと思う。
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